目に見える病とそうでない病では

  • 自分が要約筆記に関わっていて、

目に見える障害と
目に見えない障害では周囲の人の反応が違うと
いろいろな場面で感じる。

要約筆記者の対人支援でその部分を
要約筆記者として
自覚しなくてはいけない場面は多々あって。

目に見える病とそうでない病では
配慮する部分が違うなあと日々感じている。

次男は知的障害はなく
言葉もある程度理解し、発語もある。
言葉は達者で数字にも強い。
西暦の数字から年齢を逆算するのもできる。

ただ発語の言語が
コミュニケーションに生きているかというと
そうではない。

相手の意図が理解できず、
指示が分からず、
泣いてしまうことがあるし、
記憶が飛ぶこともある。

手にしていたリモコンを
いつのまにか手放し
それがないとパニックで泣く。

それも手につけられない勢いで。

夫もそれは見てないかもしれない。

これが次男の日常。

私はそれに付き合うのに
だんだん疲れていたところだった。

診断をうけて楽になったのは
その泣きとパニックは脳の病気だということで
心に余裕ができた。

夫の癇癪や瞬間湯沸かし的な怒りも
夫は診断はつかないものの
アスペルガーかもしれないと本人が自覚してるらしい。

夫はそういう病の可能性があると思うと
なんだと心で深呼吸ができる。

脳の軽度の障害だから
周囲がそれぞれの個性に合わせた配慮することで
他の方に迷惑をかけない日常を送らせてあげないといけない。

少しずつ親にならなくては。
次男と長男のために。
母は強くならないと。