人が亡くなるとき

幼稚園から中学生にかけて
父や母の親類が亡くなることが多かったです。

特に父方の親類は第2次世界大戦で徴兵され
終戦後家族を作ることよりも
自分が食べる生活でいっぱいいっぱいで
私の父はその叔父叔母に
食べさせてもらい大きくなりました。
だから私の父は
その独身の叔父叔母の最後を看取り、葬儀を出しました。

母の兄と弟は肺結核と心疾患で30代前に相次いで亡くなりました。

昭和50年前後にそんなことがあったため、
テレビの中でどんなに景気の良いことを放送していても
そんなの都会の一握りのヒトの話だと
どこかで思っている嫌なヤツが私です。(^^;)

実際、中学生と高校の夏休みや冬休みに
結婚式場の賄い付きのアルバイトを父が探してきて、
自分で勉強したいなら働くんだと言われて
そのアルバイト代で塾に行き、模試を受けていました。

息子に同じことをさせようとは思いませんが、
私の経験したことは多分、
バブルにさしかかっていた時期には貴重な経験だったと思います。

長男が私の父の葬儀にどうしてあんなにヒトが来たのか
あれはスゴイことなんだと思うと話します。

それを聞くと私の父がお金がない中、
看取り葬儀を出した叔父叔母の存在を思い出します。

父は寡黙で金勘定のできないヒトでしたが、
自分がどう動くとヒトのためになるかを
とてもよく理解していたと思います。
だから急な死だったけれど、多くの人に見送られたのだろうな。

もう少しで父がなくなった日になります。

「ヒトが亡くなるとき」誰がそばにいるのか、
自分の時はどうなるんだろうな。