続けて得ること、学ぶこと

中学の息子を見ていると、
なんとなくやっている気分で
ものごとを進めているカンジがする。

息子なりに自分で何かしようとすることはいいことだし、
特に苦手な科目への取り組みもするので
これ以上いろいろ言わないけれど。

周囲に気を配り、
自分のやることが不自然だとやらない。
そんなに他人は自分を見ていないよというが
親の言うことは聞かない。

私は中学の時に他人にどう見られているかなど
全く気にしない我が道を行く嫌なやつでした。

誰とでも仲良くはなく、実際友人は2人ほどで部活も別。
でも好きなモノは同じ3人で試験勉強も一緒にしたり。

自分はピアノとフルートと書道を小学校から中学2年までやり
高校では文芸部と合唱部をしてやはり続けていて得たことがある。

1つはピアノで1つのソナチネソナタバッハの平均律1曲を
暗譜に仕上げるためには、
楽譜を読んで、右手の運指、左手の運指を確認し、
その上でひっかかる運指の部分の練習をする。

そして両手で合わせて弾いてから、
さらに表現を深めたい部分の弾き込みで部分部分を作り上げ
最終的に暗譜してそれができるようにする。

部活も毎日あったのでピアノができるのは1日2時間まで。
でも要領がわるいので1ヶ月に1曲できるかできないかのスピード。

好きな曲はないが、今でも当時練習した楽譜を見ると自然に指が動く。
それが私のピアノだなと思う。

フルートもパートリーダーだったので
学校の練習以外にフルート教室に通って。

自分の音を作って暗譜した後、
パートそれぞれの音を楽譜でチェックし、自分でもそれを吹いて確認。
パート練習でハモる部分の練習は相手もあるので気が抜けない。

さらに全体練習ではフルート以外の音が入るので
絡む音の楽譜のチェックをして、楽器を超えての練習がある。
音が絡む瞬間は至福だった。

それは高校の合唱部で県大会から北関東大会へ出場したときに
本当に背中がぞくぞくするような瞬間を体験して
小学校から何らかの形で
音楽にかなりの時間を費やしてきてよかったなとしみじみ。

書道はひたすら書く。無心で書く。
何と言われても書く。これが第一。
練習を怠らないことが1番なのだ。

自分は、今も自分は変わっているなと感じるし、
他人はどうも自分のように感じてないことが分かるようになったが
それはわたしにとってはまったくどうでもいいことなのです。

続けることは、意味があります。
その意味に気づくのは本人のみですが。