終わりの仕度を始めないと。。

2年前の震災の1ヶ月前に
実父が亡くなりました。

実父は中卒で
東京に大工の修行をして
祖母のいる茨城へ戻り大工を自営で長く続けました。

父は軍人遺族会の市の会長を長く務めた祖母を支え
祖母が亡くなってからは父が会長に。

亡くなる前の夏には軍人遺族会の会長として
中国へ慰霊の旅に行きました。

そして秋も元気に過ごして
長野の戸倉温泉へ地域のみんなと
お座敷列車で旅行を楽しみ。

そのときいきなり木曽の私に電話をかけてきて
「長野県だから会えるか」と言われて。

その日は仕事で父にはあえなかった後悔を
今でも思い出します。

父は12月になって
体に異変を感じ肺炎と診断されて
肺がんで翌年の2月に亡くなりました。

12月に異変を聞き、夫に相談して
私と長男はその年末と正月は
茨城の実家でゆっくり過ごさせてもらいました。
そこで父と過ごしたことが私の中で大きいです。

その時間を作ってくれた夫に本当に感謝です。

父の葬式では祖母や父がいろいろな人たちに
多くのことを尽くしてしてきた
気持ちの温まる思い出をたくさん聞きました。

長男はときどき
「あのお葬式はすごかったね」と言います。
私も祖母の葬儀より
市議会議員だった母方の祖父の葬儀より
父の葬儀が気持ちのあるものだったと思います。

今年の2月で45歳になり、
そろそろ自分の終わりの仕度をいろんな意味で
意識しなくてはと感じています。

次男を妊娠時にがんがみつかり、
出産後手術したので
自分の死を思いがけなく近く感じます。

どんなに元気だと自分が感じていても
逃れられない病もあるだろうと。

離婚した夫の母は
軽度の脳梗塞から認知症を発症し
本当に気の毒な
長い長い療養を経て人生をおえました。

自分が望んで
認知症精神疾患になるわけではなく、
それを如何に周囲が受け止めるのか、
自分を大事に思ってくれる人がどのくらいいるのか。

老後の姿をみると
その人の人生が透けて見えてきます。

毎年1泊2日の人間ドックを
受けさせてくれる夫に感謝です。

今日思うところがあり、
人間ドック予約しました。

自分がどんなふうに死んでいくか。
それをそろそろ考えなくては。

何もできなくなってからでは遅すぎるので。